大判例

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東京高等裁判所 平成元年(行コ)70号 判決

控訴人

廣瀬恭寛

右訴訟代理人弁護士

三井義廣

被控訴人

浜松税務署長事務承継者

浜松西税務署長

山本恒雄

右指定代理人

浅野晴美

外三名

主文

一  原判決を取り消す。

二  浜松税務署長が控訴人に対し、昭和五八年一〇月二六日付けでした昭和五八年一月八日相続開始に係る相続税更正処分のうち、納付税額一億〇三六五万三三〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定処分はこれを取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、主文同旨の判決を求め(控訴人は、当審において、主文第二項記載のとおり請求を拡張した。)、被控訴人は、控訴棄却の判決及び当審で拡張した請求の棄却を求めた。

二  当事者双方の主張は、原審における主張を敷衍し、以下のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決一五枚目裏三行目の「七八四万七〇〇〇円」とあるのを「七八二万七〇〇〇円と、同二〇枚目裏九行目から一〇行目の「静岡県浜名郡舞坂町」を「静岡県浜名郡舞阪町」と同一〇行目から一一行目の「舞坂町の土地」を「舞阪町の土地」と、同二五枚目表三行目の「孝之は、」とあるのを「福子は、控訴人及び孝之に対しては強い不信感を抱いていたので、訴外会社の経営のみならず、控訴人及び孝之の資産の管理も福子が行い、その役員報酬、賞与、配当金等もいったん福子が預かり、必要な都度必要な額を各人に交付し、あるいは各人に代わってその資産の運用を行うのが常であった。本件の日本医薬品工業の株式購入もこのような資産運用の一環として行われた。すなわち、福子は、」とそれぞれ改める。)。

(控訴人)

一  債務控除について

1  贈与者の連帯納付義務の履行と求償権の発生の有無

(一)  贈与者の連帯納付責任は、徴税の確保を目的としていることは確かであるが、単に徴税の確保を目的とするだけで、受贈者の納税義務との関係で主従の関係にあるとか、補完税であると認定することはできない。同じく、徴税の確保を目的とする制度に第二次納税義務があるが、第二次納税義務の場合には、本来の納税義務者に対して滞納処分をしてもなお徴収すべき額に不足すると認められる場合に初めて納税義務が発生するものである(国税徴収法三三条以下参照)。したがって、この場合には本来の納税義務と第二次納税義務との間には明らかに主従の関係が認められる。

これに対し、相続税法(以下「法」という。)三四条四項の場合には、受贈者に対する納税義務の発生・確定と同時に法律上当然に贈与者に対する納税義務が発生するものであって(最高三小昭五五・七・一判、民集三四巻四号五三五頁)、第二次納税義務の場合のような制限的な要件はなく、規定の体裁も全く異なるから、贈与者と受贈者の各納税義務は、いわば併存的な関係にあるというべきである。

(二)  以下のような両者の関係からすると、一方が納税義務を履行したとしても相互には求償権は発生しないと解するのが相当である。このことは、第二次納税義務の場合には求償権に関する規定がある(国税徴収法三二条五項)のに対し、法三四条四項の場合にはそのような規定がないという文理上の差異に照らしても解釈できる。

(三)  なお、平成元年四月一〇日、相続税法の基本通達の改正が行われたが、この改正によると、従前の取扱としては、法三四条四項により贈与者が贈与税を納付した場合には常に贈与があったものと見做されて課税する傾向にあったものを、資力喪失という理由による場合には贈与と見做さないものとして、課税される場合を従前より制限するかのごとき印象を与える。しかし、右改正以前において、贈与者が贈与税を納付した場合に更に贈与税が課税された事例はないし、贈与者が贈与税相当額の求償権を放棄したとみられるような事情がある場合でも、贈与税が課税された事例はない。この通達改正の意図は、今後求償権を放棄した場合には更に贈与税の課税を行うとの意向を表明したものと思われるが、求償権の存在自体について争いがあり、本来法律によって規定されなければならない事項について、通達により課税を行おうとするのは誤りである。右通達は、これまでの実務の取扱とは全く異なる前提を作出し、本来意図するところを巧妙に隠しながら、課税の範囲を拡大しようとの趣旨によるものであって不当である。

2  贈与税負担の合意の有無

(一)  福子が出資持分を正博らに贈与しようとしたのは、訴外会社の経営の安定を慮ってのことであるから、その贈与口数は相当のものが予定されていたし、また、このような趣旨による贈与であるから、福子には受贈者に税金面で負担を掛けてはいけないとの考慮が働くのは当然であって、弁天島での話合いの際に税額の具体的な計算が行われていなかったとしても、贈与税の負担についての合意がされていなかったことにはならない。

なお、贈与証書は、単なる従業員にすぎない正博らが出資持分を譲り受けることに控訴人や孝之が反対するおそれがあったため、福子の贈与意思並びに口数を明確にする目的で作成されたものである。しかし、贈与税を福子が負担するということは、同じく贈与を受けている控訴人や孝之の利益にもなることであって、正博らとの間で利害が対立し、紛争が発生するおそれもなかったから、改めて書面にまで記載しなかった。なおまた、一般に贈与証書を作成する際に贈与税に関する事項も併せて記載するという慣行もない。したがって、贈与証書に贈与税の負担について記載がないとしても、この点の合意がなかったことにはならない。

なお、被控訴人は、昭和五七年一月五日の出資持分の贈与に係る贈与税については、正博らが負担して納付していることから、贈与税負担の合意の存在には疑問があると主張するが、この贈与税の納付については、以下のような事情があり、贈与税負担の合意の存在とは矛盾しない。すなわち、当初、右贈与については贈与税は課税されないものと考えて、福子の遺産から控除すべき債務として計上しなかったばかりか、受贈者である正博らも贈与税の申告をしなかったところ、浜松税務署長は、右贈与に係る出資の評価の方法には誤りがあるとして、贈与税の課税処分をした。そこで、正博らはやむなく、異議申立て、審査請求の手続をとるとともに、延滞税及び滞納処分を免れるため、課税額を自己の負担で仮に納付したが、その後、後記のように、課税処分の取消訴訟は原告側敗訴に確定したので、当初の贈与税負担の合意に従い、控訴人は、正博らに対し、その納付額相当額の金員を支払ったものである。

(二)  控訴人・孝之・仁子・文佳に対する土地の贈与については、当初、福子は、淑子との間で話を進め、贈与税負担の合意についても同女との間で成立したものである。

淑子は、控訴人及び孝之が金銭的にルーズであり、浪費癖もあったところから、従前から夫である孝之はもちろん、義兄である控訴人(当時配偶者はいなかった。)のためにも、財産管理を担当していた。その一環として、控訴人の子である仁子の面倒をみ、経済面での処理も行っていたし、自身の子である文佳の問題も一人で処理していたのであって、淑子は、控訴人・孝之・仁子・文佳の財産管理について包括的な代理権を有していたものである。

また、昭和五八年一二月ころ、弁天島の寮で行われた話合の席においても、福子から出席した控訴人・孝之に対して贈与税は福子が負担するという話がされ、これを右両名は了承した。この時点において、控訴人・孝之は、前記合意を自身についてはもとより、仁子・文佳の親権者としても追認したということができる。

さらには、その後、昭和五七年三月一五日に淑子が本件贈与税相当額を福子名義の預金から引き下ろして納付の手続をした際にも、控訴人・孝之は特に右処理に異議を述べなかった。したがって、この時点で、右両名は前記合意を追認したということもできる。

いずれにせよ、本件贈与税を福子が負担する旨の合意が有効に成立していたことは明らかである。

3  贈与税負担の合意の法的意味

福子のした贈与税負担の合意は、(一)贈与者である福子が相続税法上の連帯納付義務者として贈与税を納付し、かつ、その場合、仮に贈与者に受贈者に対する求償権が発生するとすれば、これを放棄するという意思表示であるか、又は(二)贈与税は受贈者が直接納付するが、この納付に必要な贈与税相当額の金員を福子が受贈者に贈与するという合意のいずれかの法的意味を有すると考えられる。そして、(一)と解するときは、贈与税負担の合意は将来発生する求償権の事前の放棄の意味を有することになるが、その意味における合意の効果は右合意成立時から発生しているのであり、その効果により、相続時点において、将来右合意に基づいて贈与税の納付がされても求償権は発生しないことに決まっているのである。

この点は、昭和五七年三月一五日にされた福子名義の預金からの贈与税の納付につき、これを福子の相続人が連帯納付義務者として納付したと解するか、それとも受贈者らが本来の納税義務者として納付したと解するかに係わってくる。右納付は、納付書の記載によると、受贈者らが納付したもののようでもあるが、実態からすると、淑子が手足となって、福子の相続人らが連帯納付義務者として納付したと解する余地も充分あるものである。

4  書面によらない贈与と「履行の確実な債務」

被控訴人は、贈与税負担の合意は書面によらない贈与であり、履行が終わらないうちは贈与者がいつでも取り消すことができるから、相続開始時点において「履行の確実な債務」に該当しないと主張する。

しかしながら、制限的納税義務者について規定する法一三条二項四号は、控除できる債務として、「その財産に関する贈与の義務」を明示している。仮に書面によらない贈与は、取消しの可能性があるが故に定型的に不確実な債務に該当し、債務控除の対象とならないというのであれば、右条項に初めからその点の制限が明示されてしかるべきであるところ、そのような制約は明示されていないのであるから、右の場合の贈与の義務は書面によると否とを問わない趣旨と解される。このような条文の規定の仕方からみても、書面によらない贈与であるとの一事をもって法一四条所定の「不確実な債務」に当たると解すべきではない。

5  債務控除の額について

(一)  控訴人が本件相続税の申告において計上した福子の債務のうち、被控訴人が本件更正処分において債務控除を否認したのは、昭和五六年分の贈与税の合計額一四二〇万九一〇〇円である。

(二)  そのほか、正博・忠博は、昭和五七年一月五日にも訴外会社の出資持分の贈与を受けているが、これについては、当初、出資の評価額が控除額以下であるとして、贈与税の申告をしなかった。ところが、浜松税務署長は、昭和五八年一〇月二六日付けで、右評価方法は誤りであるとして、正博に対し本税五六万円、無申告加算税五万六〇〇〇円の、また、忠博に対して本税四万円、無申告加算税四〇〇〇円の各贈与税賦課処分を行った。同人らは、これに対し、異議申立て、審査請求、取消訴訟の各手続をとったが、その間の延滞税の発生や滞納処分を免れるため、昭和五八年一〇月三〇日、右課税額を仮に納付した。しかし、平成三年三月一九日、正博らの上告が棄却されて贈与税の課税が確定したことから、控訴人は、平成三年三月二五日、贈与税負担の合意に従い、正博らに対し、前記金額を支払った。

したがって、右金額も本来債務として控除すべきものである。その総額は六六万円であるが、右は分割の協議がされていないから、控訴人についてはその二分の一に相当する三三万円が債務控除の対象となる。

なお、被控訴人は、この租税債務については、歴年終了時である昭和五七年一二月末日でなければ、基となる租税債務の額が具体的に確定しないから、本件の相続開始時点においては、「確実な債務」とはいえないと主張するが、国税通則法一五条二項五号によれば、贈与税を納付する義務は贈与による財産の取得の時に成立するとされているから、右主張は理由がない。

(三)  もっとも、昭和五五年中の控訴人から福子に対する有価証券の贈与に関して、贈与税額二九万五一〇〇円が福子に課税されており、これが更正処分において債務控除の額の中に含められていたところ、その後、右贈与税の課税処分は取り消され、昭和五九年一〇月九日付けで、右二九万五一〇〇円は相続人に還付された。したがって、右金額の二分の一(一四万七五五〇円)は更正処分において計上された債務控除の額から減額すべきことになる。

(四)  よって、控訴人の相続税額を算定するに当たって、控除すべき債務額は、本件更正処分において被控訴人が認めた一七九九万七四一一円から一四万七五五〇円を減額した一七八四万九八六一円(債務控除額として当事者間に争いのない額。原判決添付別表三参照)に一四二〇万九一〇〇円と三三万円を加算した三二三八万八九六一円となる。

(五)  以上の結果に基づき控訴人の相続税額を計算すると、その総額は一億〇三六五万三三〇〇円(課税価格二億七六五四万九〇〇〇円)となる。また、過少申告加算税については、賦課決定の基礎となる税額が七八二万七〇〇〇円であったところ、右計算によれば、この基礎となる税額を上回る金額が減額となるため、加算税は賦課されないことになる。

二  有価証券の贈与加算額について

福子は、控訴人及び孝之に対して強い不信感を抱いていたので、会社の経営のみならず、控訴人及び孝之の資産の管理も福子が行い、その役員報酬、賞与、配当金等もいったん福子が預かり、各人に代わってその資産の運用を行っていた。本件の日本医薬品工業株式会社の株式の購入もこのような資産運用の一環として行われたものである。

すなわち、福子は、証券会社より日本医薬品工業株式会社の株式について近く無償割当があるとの情報を得たので、福子自身のほか控訴人や孝之の利益をも考え、これら三人の夏期賞与相当額を訴外会社から前借りし、この資金を利用して株式を購入したものであり、福子の右行為は、控訴人及び孝之にその損益及び法的効果を帰属させるべく代理行為として行われたものである。そして、福子は、財産が混同しないよう、細心の注意を払い、日本医薬品工業株式会社の株式を購入するに当たって、福子自身のものとして取得した一万株は大和証券株式会社の口座を利用し、控訴人名義とすべき三〇〇〇株及び孝之名義とすべき二〇〇〇株については日本勧業角丸証券株式会社の口座を利用して、両者を区別した。したがって、株式の名義変更は贈与と認定されるような行為ではない。

なお、孝之名義の借入金が孝之名義に変更された株式の購入代金に当てられなかったとすると、福子は借入金相当額を孝之から借り入れたことになるが、その後、福子はこの借入金を孝之に返済した事実はないし、一方で借入れを行いながら、他方で株式を贈与するという極めて不自然な状況を認めることになる。

三  宅地の贈与加算額について

本件では、使用貸借による使用権を評価するのではなく、土地(底地)の価額を評価するものであるところ、堅固な建物所有を目的とする使用貸借による使用権によって一〇〇パーセントの利用が制限されている土地の価額が幾らかであるかを評価する場合、更地と同様の客観的な交換価値を有するものとみることは困難である。

また、使用貸借による土地使用権を評価するとした場合、借地権のように法律上の手厚い保護が与えられていないからといって、直ちに客観的な交換価値を零とする理由はない。借地権と同等とはいかないまでも法律上の保護はあるのであるから、その価値を零としか評価しないのは誤りである。民法五九七条には使用期間に関する規定があって、期間の定めあるいは目的に従って一定期間、借主は物を使用する権利・利益があるのであって、契約に至る動機が好意・信頼関係に基づくものであるということと、一度契約されたことによる権利の内容とを混同してはならない。なお、相続税財産評価に関する基本通達二六においていわゆる貸家建付け地の評価方法を規定しているが、この評価方法を用いる場合として文理上規定しているのは、「貸家の目的に供されている宅地」であって、敷地所有者と建物所有者とが同一人の場合という限定はない。いわゆる貸家建付け地の評価は、借家人の敷地利用権を評価してこれを減額しようとの趣旨に基づくものであり、本件のような使用貸借関係にある場合にもこの評価方法によって評価することは、何ら不合理ではない。

また、本件では、孝之が本件土地を贈与によって取得すると同時に、敷地所有者と建物所有者は同一人になってしまう。その結果、孝之は、借家人に対しては借家法に定められている制限を受けることになるのであって、そのような制限を受けない完全な所有権は取得できないのである。贈与に係る財産の評価は、贈与によって取得した財産価値を評価すべきであって、受贈者が取得できなかった価値までも評価の対象とすべきでない。

(被控訴人)

1  連帯納付義務の履行と求償権の放棄

国税庁長官平成元年四月一〇日付直資二―二〇七「相続税法基本通達の一部改正について」通達により相続税法基本通達(以下「基本通達」という。)三四―三が新設され、「法三四条…四項の規定による連帯納付の責めに基づいて…贈与税の納付があった場合において、その納付が…贈与により財産を取得した者…がその取得した財産を費消するなどにより資力を喪失して…贈与税を納付することが困難であることによりなされたときは、基本通達八―三(連帯債務者及び保証人の求償権の放棄)の取扱いの適用はないこと」を、また、注で「…上記の場合に該当しないときには基本通達八―三の適用がある」ことが明示された。これにより、(一)受贈者の資力喪失の理由により、その者が納付すべき贈与税の納付が困難と認められる場合に、贈与者がこれを納付したときは、当該贈与税相当額につき、納付した贈与者の求償権の放棄の有無にかかわらず、基本通達八―三(法八条本文による贈与があったものとみなす)の取扱の適用がないこと、注書により、受贈者の資力喪失の状態にない場合には基本通達八―三を適用し、納付した贈与者が求償権を放棄した場合、当該贈与税相当額につき贈与があったものとして取り扱われることが明らかにされた。

右は、従前の法解釈を変更するものでも、新たな解釈を創設的に示したものでもない。

すなわち、受贈者の納税義務は贈与者の義務と同等の義務とはいえず、その関係は主たる債務と従たる債務の関係にあって、贈与者が受贈者の本来支払うべき贈与税額を納付した場合には、贈与者から受贈者に対する求償権が発生するのであり、その求償権が放棄されたことにより贈与税の課税要件が充足されれば、贈与税が課税されるのは税法上当然のことである。

ところで、法八条ただし書が、債務者の資力喪失により債務の弁済が困難である場合には、当該債務の免除があっても贈与とみなされない旨規定しているのは、債務者が資力を喪失している場合にも贈与税を課すのは、結果において酷にすぎることからも適当でないとの趣旨に出たものである。その趣旨は、法三四条四項の規定に基づき贈与者による贈与税の納付がされた場合の贈与税課税の発生に関する解釈に当たっても尊重されるべきことは当然である。そうすると、受贈者が資力を喪失して贈与税を納付することが困難であることにより贈与者がやむなく贈与税を納付した場合には、前記法八条ただし書の趣旨及び基本通達八―三に照らし、右ただし書を適用ないし準用して贈与課税をしないものと解するのが相当であり、課税庁も従前からそのような解釈の下に課税を行ってきた。ところが、これと異なる見解を述べる向きも一部に出始めたことから、今般、基本通達三四―三において従前の解釈・取扱を留意的に明確にすることとしたものである。

2  贈与税負担の合意の有無について

(一) 控訴人・孝之・仁子・文佳に対する贈与税負担の合意の有無

本件では、福子が贈与税額を負担するという約束をしたことの確かな証拠はない。淑子の証言によるも、福子が自分で払うという一方的発言があったことが認められるのみで、贈与税負担についての合意が成立したと認めることはできない。昭和五六年一二月上旬の弁天島での話合の席上、既に六箇月前に贈与をし、その履行も完了していた土地贈与に付随する税負担の問題が持ち出され、合意がされたということは不自然である。昭和五六年一二月上旬の弁天島での話合においては、せいぜい福子が、土地の贈与によって生ずる税負担の問題が具体化した段階においてこれを負担する用意がある旨の意向ないし心づもりを一般的かつ一方的に表明したというにすぎず、これに関し、福子と控訴人らとの間で、いかなる意味においても明確な形で双方の意思が合致し、その旨の契約が成立したとは到底認め難いというべきである。

(二) 正博ら従業員に対する贈与税負担の合意の有無

控訴人・孝之が出資の贈与そのものに対して反対することさえ想定して確定日付付きの贈与証書まで作成した福子が、贈与税の負担について将来トラブルの発生することを懸念しないはずはなく、この点について書面化していないことからみて、贈与税の負担についての合意があったというのは極めて疑わしい。しかも、弁天島での話合いの時点では、従業員らに対する出資持分の贈与は決まったものの、その口数などは具体的には決まっておらず、それが決まったのは昭和五六年一二月一七日と昭和五七年一月五日の二度にわたる贈与の履行によってであるから、それまでは、出資持分の価額が贈与税の控除額の範囲を超えているか否か、超えているとしても贈与税額が幾らになるかは計算できなかったのである。したがって、福子が、弁天島での話合で贈与税の具体的な負担をどうするか発言する必然性はなかったというべきであって、この点からも、贈与税負担の合意の存在を認めることは困難である。さらには、昭和五七年一月五日の贈与に係る贈与税は受贈者である正博らが負担して納付しているのであって、この点も、贈与税負担の合意がなかったことを裏付けるものである。

仮に福子が贈与税の負担について発言したとしても、それは、仮に今後贈与税の負担が問題化した場合には、その実質的な負担については自らの責任においてなす用意があるとの意向ないし心づもりを表明したというにすぎず、これをもって福子と各受贈者との間に贈与税の負担につき明確な合意が成立したということにならないものである。

3  贈与税負担の合意と債務控除の可否

(一) 贈与税相当額の金員の贈与と解した場合

(1) 相続税は相続財産に担税力を見い出し、これに対して課税するものであるから、被相続人の債務は本来課税価格に含まれない性質のものであると考えられるが、被相続人おいて当該債務を負担することが確実なものまで債務控除を許さないとすると、課税の公平を失するおそれがあることから、相続税法は債務が確実なものに限り債務控除をなし得ると規定したものであり、その趣旨からして債務控除をなし得る債務の確実性についてはこれを厳格に解釈しなければならない。

(2) そして、本件では、仮に贈与税相当額の金員の贈与の約束が成立したとしても、この点については書面が作成されないままで推移した。したがって、この贈与約束は書面によらない贈与として履行が終わらないうちは贈与者(又はその相続人)はいつでも取り消し得るものである(民法五五〇条)。なお、出資の贈与とその贈与税相当額の金員の贈与との関係を、前者と後者は主従の関係に立ち、契約当事者が前者につき後者と切り離して別個の法的効力を付与する(書面化)ことを許さないほど強力なものと解することは相当でない。

そうすると、本件で贈与税負担の約束が履行されたのは、福子が死亡した後の昭和五七年三月一五日であって、福子の死亡による相続開始の日である昭和五七年一月八日の時点では、未だ法一四条に規定する「確実な債務」には該当しないものであったから、本件の贈与税相当額の金員を贈与するという債務は、相続税法に規定する債務控除の対象とはならない。

なお、贈与税の徴税の実務においては、贈与による財産取得の時期は、書面によるものについてはその契約の効力が発生した時により、書面によらないものについてはその履行の時によるものとして取り扱うこととしている。これは、相続税法一条の二の規定の趣旨に照らし、基本的には民法の物権変動の時期についての通説・判例の考え方を前提として、所有権の移転の効力が発生した時をもって贈与による財産取得の時期として取り扱うことが相当であると考えたからであるが、書面によらない贈与は履行が終わるまではいつでも取り消すことができ、履行前の受贈者の地位は極めて不安定なものであるので、その贈与が確定的になる履行の時によるものとして取り扱うことにしたものである。

(二) 連帯納付責任の履行により発生する求償権の放棄と解する場合

贈与者が連帯納付責任を果たした場合、受贈者に対して求償権が発生するのは、もとより右納付責任を履行したときである。したがって、贈与者が、受贈者が納付すべき贈与税を代わって納付するという約束をし、これが求償債務の免除又は求償権の放棄の意味を有するとしても、贈与者に右求償権が具体的に発生したというためには、少なくとも贈与税の確定申告の時期が到来し、贈与者において右贈与税を納付した以後でなければならない。

ところで、本件では、贈与税の納付がされたのは昭和五七年三月一五日であるから、求償権が具体的に発生したのは右同日であるというべきである。そうすると、相続開始時点(昭和五七年一月八日)においては求償権放棄の効果は具体的に発生していないところ、福子の相続人らが将来現実に贈与税を納付すべき義務を履行することになるかどうかは不確実なものであったから、本件相続開始時においては、結局、右贈与税負担の約束に基づく債務なるものは、「確実と認められる債務」には該当しないというべきである。

(三) 昭和五七年一月五日の出資持分の贈与に係る贈与税について

相続財産の価額から控除し得る債務というためには、最低限の条件として、当該債務が成立し、その債務に基づいて具体的な給付をすべき原因となる事実が発生し、その金額を合理的に算定することができる場合であることが必要であるところ、国税通則法一五条二項五号によれば、贈与税の納税義務は贈与(いわゆる死因贈与を除く。)による財産の取得の時に成立するものとされているが、その額の算定については、法は、贈与税の課税価格を一歴年中に贈与により取得した財産の価額の合計額とし、課税価格より一定額の基礎控除をした金額に累進税率を適用して贈与税額を算出すべきものと定めているので、この計算期間である歴年が終了しなければ、贈与税の課税価格もこれに適用すべき税率も確定せず、贈与税の算出は不可能ということになる。したがって、福子が正博らに対し贈与税を負担すべきこととなる債務は、贈与した日の属する年の歴年終了時である昭和五七年一二月末日でなければ、合理的算定をして確定させることはできないのであるから、本件相続時点である昭和五七年一月八日の時点においては、未だ債務控除の対象とすべき「確実と認められる債務」に当たるということはできない。

四  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因一1、2の事実は当事者間に争いがない。

同3の事実のうち、異議申立ての日付及び裁決書送付の日付を除く事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、控訴人が被控訴人に対して異議申立てをしたのは昭和五八年一二月一六日で、裁決書が控訴人に送達されたのは昭和六〇年六月一二日であることが認められる。

また、(1)本件相続税算定の基礎となる相続財産の明細及びその課税価額並びにうち控訴人が取得した財産の価額については、原判決添付の別表二の被控訴人主張額欄のとおりであることに当事者間に争いはなく、(2)債務控除の額については、原判決添付の別表三のとおり、一七八四万九八六一円を超えない部分の存在について、(3)純資産価額に加算される贈与財産額(贈与加算額)については、同表記載のとおり、二八二六万六六五〇円を超えない部分の存在について、(4)そのうち控訴人に帰属する価額については同表記載のとおりであることは、それぞれ当事者間に争いがない。

結局、本件の争点は、(一)債務控除の中に、昭和五六年及び昭和五七年に福子から仁子、文佳ないし正博ら従業員に対してされた贈与に係る贈与税相当分を含ましめ得るか、また、(二)純資産額に加算される贈与財産のうちに日本医薬品工業株式会社の株式(二〇〇〇株)の分を含め得るか、また、(三)右純資産額に加算される贈与財産の額を算定するに当たって、福子が孝之に贈与した本件土地(持分)の評価をどうするかの三点である。

二債務控除について

1  法一四条一項の趣旨

債務控除の対象となる債務は、「確実と認められるもの」に限られる(法一四条一項)。なぜなら、同条の趣旨は、相続人ないし相続財産の負担となる債務(消極財産)は積極財産の価額から控除して正味(純)財産により相続税の課税価格を算定しようとするものだからである。したがって、その存在が確実であっても、保証債務のように、債務の性質上、相続人が履行するとは限らず、必ずしも相続人ないし相続財産の負担とはならないものは、原則として、それから除かれるものと解さなければならない。そのような観点からすると、書面によらない贈与のようにいつでも本人又は相続人が取り消し得るものについても、それがここでいう「確実と認められるもの」に含まれるかは一個の問題である。確かに書面によらない贈与は、贈与者又はその相続人は履行するまでは取り消すことができる。しかしながら、だからといって、直ちに、それらが定型的に「確実と認められるもの」に当たらないということはできない。なぜなら、贈与契約に基づく債務は、保証債務のような補充的なものではないから、いやしくもその債務の存在すること及びその債務の履行されることが確実であると証拠上認められるならば、これを「確実と認められるもの」ではないとはいえないからである。すなわち、取消しが理論的には可能であっても、諸般の状況からみて取消権の行使がされず、その債務が履行されることが確実と認定できる場合には、これを債務控除の対象から除外すべき理由はない。抽象的に取消権が付着しているということだけで一般的に債務控除の対象としないとすると、例えば、相続税の申告時点までに既に履行が済んでいる書面によらない贈与に係る債務も、単に相続の時点では取り消し得たという理由で債務控除の対象とならないということになり、常識的にみて合理性を欠く結果を招くおそれがある。なお、このような解釈を採るべきであることは、いわゆる制限納税義務者に関する相続税法一三条二項四号の規定の仕方からも窺うことができる。すなわち、制限納税義務者の場合の債務控除については、同条二項で控除の対象を個別的に列挙しているが、そのうち四号においては「その財産に関する贈与の義務」とされ、特に書面による場合という限定が付されていない。このことからみて、立法者は、必ずしも書面によらない贈与であるという一事で、定型的に債務控除の対象から外すという考え方を採っていなかったものと考えられるのである。

そうすると、本件でも、書面によらない贈与であるというだけで、債務控除の対象にならないと解すべきではなく、書面によらない贈与であっても、相続時点において、相続人によって取消権が行使されずに履行されることが確実と認定できるか否かが問題であるというべきである。そして、この点の認定に関しては、相続開始後における状況、特に相続人によって現実に右債務の履行がされたか否かの点は、相続開始時点において債務の履行が確実と認められるか否かの認定においても斟酌されて然るべきである。

2  贈与税負担の合意の有無

そこで、次に福子が本件の各贈与をするに当たって、贈与税の負担をするとの合意が成立していたか否かの点について検討するに、〈書証番号略〉並びに原審における証人高見功祐及び同杉本正博並びに当審における証人廣瀬淑子の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)  福子は、訴外会社を創業し、以後右会社を実質的には一人で経営し、土地等の資産を保有していた。同女には、控訴人と孝之の二人の子供がいたが、両名は、浪費癖があって、だらしのない面があり、訴外会社の取締役に一応名を連ねてはいたものの、会社の経営にも関与しておらず、同女はほとんど信頼を置いていなかった。

(二)  福子は、昭和五七年一月八日死亡したが、亡くなる二年ほど前から糖尿病を罹って入退院を繰り返し、余命いくばくもないことを感じていた。そこで、死後二人の息子の間で相続争いが生ずることを避けるため、本件土地を孝之とその子の文佳に、舞阪町の土地を控訴人とその子の仁子にそれぞれ贈与することにし、昭和五六年七月ころ、昭和五六年六月二六日付けの贈与を登記原因としてその旨の移転登記手続をした。

(三)  仁子と文佳は共に当時未成年であった。控訴人は当時離婚しており、控訴人が仁子の親権者であった。文佳の親権者は父母の孝之と淑子であった。そのような状況にあったため、福子は嫁の淑子を頼りにし、会社の経理から個人の資産管理に至るまで事務的な仕事は、かなり同女に委ねていた。

(四)  前記の贈与をするについても、福子は専ら淑子と顧問税理士の高見に相談し、孝之や控訴人には事前に知らせることはしなかった。贈与による所有権移転登記手続のために必要な委任状等の書類も、淑子が受贈者らに代わって署名捺印することにより作成された。

(五)  右贈与に当たり、福子は、贈与税の問題にも注意を払い、税理士とも相談して、福子が贈与税を負担することに問題のないことを確認するとともに、相談相手の淑子に対し、右贈与に対し課せられる贈与税についても一切福子がこれを負担する意向であることを表明していた。なお、仁子と文佳は、当時贈与税が課せられたとしても、これを支払うだけの預金等を所持していなかった。

(六)  福子は、その後、後記のとおり、訴外会社の出資の持分譲渡について従業員らと話合をする際、従業員らのほかに控訴人、孝之、淑子らを同席させたが、その際、控訴人や孝之が福子の有する出資の持分を従業員に分与することに不満を表明することを抑えるため、控訴人、孝之に対し、本件土地等を贈与したことを明らかにした。そして、この贈与に対して課せられる贈与税も福子が負担する意向を表明した。これに対し、控訴人、孝之や淑子は特に異議を述べず、これを承諾した。

(七)  また、福子は、前記のとおり、控訴人や孝之に信頼を置いてなかったため、自分の死後の訴外会社の経営について深く憂慮し、自分の保有する出資の持分を主だった従業員に贈与し、従業員を経営の一端に参加させることによって、会社の経営を盛り立ててもらおうと考えた。

(八)  そこで、昭和五六年一二月ころ、浜名郡舞阪町所在の弁天島にある会社の寮に控訴人、孝之、淑子のほか、従業員である正博、忠博、護、信夫、清や高見税理士を呼び集め、前記の趣旨で出資の持分を贈与する旨の提案をし、右従業員らもこれを承諾した。また、その際、右贈与に対し課せられるかもしれない贈与税等については一切福子の方で負担するとの意思が表明され、これについても右従業員らは特に異議を述べず、これを承諾した。もっとも、その席上では、各人に具体的に何口の持分を譲渡するかという点までは決まらず、贈与の口数やその手続等は一切福子側に任された。

(九)  右話合を受け、同月一七日になって、正博に一五〇口、忠博に五〇口、護に二〇口、信夫に一五口、清に一五口を贈与する旨の確定日付付きの贈与証書が作成され、その内容どおり贈与がされた。

(一〇)  また、昭和五七年一月五日にも、正博に一五〇口、忠博に五〇口を贈与する旨の確定日付付きの贈与証書が作成され、その内容どおり贈与が実行された。

(十一)  なお、このように確定日付付きの贈与証書をわざわざ作成したのは、控訴人や孝之が後になって従業員への出資の持分の譲渡に不服を述べ、トラブルになることを福子がおそれたためであった。

(十二)  本件土地及び舞阪町の土地の贈与に係る贈与税及び(九)掲記の出資の持分の贈与に係る贈与税については、各受贈者において贈与税の申告をするとともに、福子の死後の昭和五七年三月一五日、淑子が浜松信用金庫の福子名義の普通預金口座から預金を引き出し、各受贈者の名義でこれを納付した。なお、これについては、特に控訴人や孝之から異論は出なかった。

(十三)  (一〇)掲記の贈与については、正博らは、その価額は控除額以下で贈与税がかからないとの見解に立ち、贈与税の申告をしないでいたところ、浜松税務署長は、昭和五八年五月二六日付けで以下のとおり、贈与税の賦課処分をした。

(1) 正博に対する処分

課税価格 三〇〇万円

納付すべき税額 五六万円

無申告加算税額 五万六〇〇〇円

(2) 忠博に対する処分

課税価格 一〇〇万円

納付すべき税額 四万円

無申告加算税額 四〇〇〇円

(十四)  正博らは、右処分に対し、異議申立て、審査請求を経た後、処分の取消しの訴えを提起したが、平成三年三月一九日、同人らの上告が棄却され、同人ら敗訴の判決が確定した。

なお、正博らは、昭和五八年一〇月三〇日ころ、延滞税や滞納処分を免れるため、右課税額を自己の負担で取り敢えず納付した。しかし、右のとおり、贈与税の賦課処分の取消訴訟は敗訴に確定したので、控訴人は、平成三年三月二五日、正博らに対し、前記合意に基づき、前記課税額を支払った。

以上の認定事実によると、福子は、少なくとも、昭和五六年一二月ころの弁天島での話合の席上において、仁子の法定代理人である控訴人並びに文佳の法定代理人である孝之・淑子に対し、舞阪町の土地及び本件土地の贈与に対して課せられる贈与税を負担する旨の意思を表明し、その旨の合意が成立したということができる。

被控訴人は、弁天島での話合の際に既に六箇月近く前に履行された贈与についての税負担の話が出るのは不自然であると主張するが、前記のように、従業員への出資持分の贈与の話合がされた弁天島での会合において、福子が、従業員への出資持分の贈与に反対されないよう、土地贈与の事実をそれまではっきり認識していなかった控訴人や孝之に明らかにし、かつ、その際、その後始末の問題といえる贈与税の負担に言及するということは何ら不自然なことではない。殊に、今まで自己の事業を切り盛りしてきた福子が、病のため行く先も短いことを悟り、何とか事業を継続させ、自己の資産も無事後世に引き継がせたいとの気持から、未成年で贈与税を払う預金等を持たない孫や信頼の置けない息子らのため、贈与税も福子が負担しようとしたことは、充分考えられることであって、この点に関する証人廣瀬淑子の証言は充分信用できる。そして、福子の意思表明に対して特に控訴人や孝之・淑子が異議を述べなかった以上、そこに合意が成立したと認めるのが相当である。

また、前記認定によると、福子は、正博ら従業員に対しても、弁天島での話合の席上、出資持分の贈与に伴い課せられるかもしれない贈与税については、福子が一切負担する旨意思表示し、正博ら従業員もこれを承諾したものと認められる。

被控訴人は、確定日付付きの贈与証書を作成までした福子が贈与税の負担については特に書面化してないことを考えると、そのような約束がされたことは疑わしいと主張するが、福子側の都合で贈与を受けてもらったという本件における特殊な事情を考えると、従業員には一切迷惑を掛けないようにして、贈与税も福子側が負担するというのがむしろ自然であり、事実、福子の死後、控訴人や孝之から異論も出ずに、福子の遺産から正博らの贈与税分も支払われていることをも勘案すると、この点の合意があったとする各証人の証言は充分信用できるものである。なお、福子は本体たる出資の持分の譲渡を巡って将来紛争が起きることを心配したのであり、贈与税の負担は出資の持分の贈与に伴ういわば後始末の問題にすぎないから、この点まではわざわざ贈与証書に明記しなかったとしても、それを不自然というのは当たらない。また、弁天島での話合の席では出資持分を何口譲渡するか具体的に決まっていなかったことは確かであるが、口数によっては贈与税がかかるおそれがあることを考えて、もし贈与税がかかるとすればこれは福子側で負担するという包括的な約束をするということも充分あり得ることであって、そのような約束が具体性を欠く不明確なものであるとはいえない。要するに、贈与すべき税額が未だ具体的に決まっていなかったとしても、そのことから、直ちに贈与税負担の明確な合意がされていなかったと結論することはできない。なお、昭和五七年一月五日の贈与にかかる贈与税を正博らが負担し納付したのは、(十四)認定のような事情によるもので、現在では、控訴人が右金額を正博らに支払っているのであるから、右事実からも贈与税負担の合意がなかったということはできない。

そうすると、福子と本件贈与の各受贈者の間で、贈与に係る贈与税は福子が負担するという合意が成立したというべきである。

3  前項の合意と法一四条一項

一般に、贈与者が受贈者に対し、当該贈与に関する贈与税を負担する旨の合意については、(1)贈与者も贈与税の連帯納付の責めを負うことから、連帯納付義務者として自ら贈与税を納付することを約束するとともに、それにより贈与者に求償権が発生する場合はこれを放棄するという趣旨の合意である場合と、(2)本来の納税義務者である受贈者が贈与税は納付するが、贈与者は、贈与税に相当する金額を受贈者らに贈与することによって、贈与税を実質負担するという趣旨の合意である場合の二つが考えられる。

この点は、(1)のように連帯納付の責めを負う者(本件においては福子ないしその相続人)自体が贈与税を納付するというのであれば、納付書にも「連帯納付責任者福子相続人」と記載するのが本来であるところ、本件の場合、(十二)認定の納付の仕方からすると、納付の主体は本来の納税義務者である各受贈者であると認められるのであって、淑子は福子の相続人らの手足として福子の預金から金員を受贈者に提供するとともに、受贈者に手足として納付の手続を行ったとみるのが素直である。また、(十四)認定のように、昭和五七年一月の贈与にかかる贈与税についても、受贈者がいったん納付し、後になって福子側が受贈者に対しその分の金員を支払うという方法が採られていること(この場合も、連帯納付の責めを負う福子の相続人らが取り敢えず納付し、贈与税賦課処分取消しの判決を受けたときは、国から還付を受けるということが可能であったはずであり、もし、合意の内容が(1)であるとすると、そうすべきであったということになる。)からみると、当事者としてはそれほど明確な区別を意識していなかったとしても、(2)を内容とする合意であったとみるのが相当である。

なお、原審における証人高見功祐の証言によれば、土地の贈与の過程で福子から、贈与税を福子が負担しても問題ないかという相談を受けた高見税理士は、贈与者である福子が連帯納付の責めを負っていることから、特に問題はないという回答をしたことが認められる。これによると、相談に預かった税理士としては福子が連帯納付者として納付することを当時考えていたかのようでもあるが、他方、原審における証人杉本正博及び当審における証人廣瀬淑子の各証言によれば、前記(十二)認定の納付の仕方も、(十四)認定の納付もいずれも高見税理士の指導によりされていることが認められるのであって、このような、その後の現実の贈与税の納付の仕方をみると、税理士自体も、はっきりとは意識していなかったものとも思われるが、(2)の内容を考えていたようにも思われる。こうした点を考えると、税理士が前記のような回答をしていたことをもって、前記認定を左右するに足りない。

そうであれば、福子は連帯納付義務者として贈与税を納付しようとしたものではないから、福子が連帯納付義務者であることを理由として、右合意に基づく福子の債務を確実なものとはいえないとする被控訴人の主張は採用できない。

以上に加え、本件では、前記認定のように、仁子及び文佳に対する土地の贈与に係る贈与税及び昭和五六年中に従業員に対してされた出資の持分の贈与に係る贈与税相当の金員の贈与については、昭和五七年三月一五日に既に福子名義の預金を下ろして履行済である。この事実に照らすと、遡って本件相続時点において、右贈与の債務の存在及び履行は確実であったと認めるのが相当である。

次に、昭和五七年にされた出資の贈与に係る贈与税相当の金員の贈与の義務であるが、これについては、前記の認定のように、受贈者は、贈与税がかからないという認識の下、贈与税の申告をしないでいたところ、贈与税の賦課処分がされ、右処分は処分取消訴訟においてもそのまま維持されたため、控訴人は最終的に右課税額相当の金員を正博らに贈与している。このことからみると、右贈与の債務についても、相続時点において、その存在及び履行が確実であったと認めるのが相当である。

4  債務額の未確定性について

なお、被控訴人は、右昭和五七年にされた贈与に係る贈与税については、贈与をした歴年の終了時である昭和五七年の一二月末日にならないと合理的算定をして確定し得ないから、相続時点では未だ債務控除の対象となし得ないと主張する。確かに、法は、贈与税の課税価格を一歴年中に贈与により取得した財産の価額の合計額とし、課税価格より一定額の基礎控除をした金額に累進税率を適用して贈与税額を算出すべきものとしているので、贈与税の具体的な総額は歴年の終了時にならないと確定しないといえる。しかしながら、受贈者に対し、同じ歴年中に本件以外に他からも贈与があった場合、前記合意に従って福子ないしその相続人が負担すべき贈与税相当の額は、累進税率のため高くなることはあり得るとしても、当該歴年中に他の贈与がなかった場合の贈与税の額を下回ることはない。そうすると、当該歴年中に本件贈与以外の贈与はなかったものと仮定して算出した贈与税の額は確実に贈与債務の内容となっているということができ、この額の限度では債務として「確実」ということができる(なお、基本通達一四―一も、「債務の金額が確定していなくとも当該債務の存在が確実と認められるものについては、相続開始時の現況によって確実と認められる範囲の金額だけを控除する。」としている。)。この点に関する被控訴人の主張は採用し難い。

5  無申告加算税相当額について

ただし、控訴人の主張するもののうち、無申告加算税相当額については、受贈者が、昭和五七年にされた出資の贈与に関し、贈与税の控除額の枠内であるとの誤った判断の下、たまたま申告をしなかったため課せられたものにすぎないものであって、相続時点において右無申告加算税相当額の贈与義務の存在が確実であったとは到底いえないから、これを控除の対象とすべきではない。

6  結論

そうすると、債務控除の額は、前記争いのない債務控除額一七八四万九八六一円(更正処分により認められた債務控除の額一八一四万四九六一円〈書証番号略〉から贈与税課税処分が取り消されたことによる二九万五一〇〇円を減額した額に同じ)に、仁子・文佳・正博・忠博・護に係る昭和五六年分の贈与税相当額合計一四二〇万九一〇〇円(右金額については当事者間に争いがない。〈書証番号略〉によれば、右債務については全額控訴人に帰属するものと認められる。)、及び正博・忠博に係る昭和五七年分の贈与税相当額六〇万円(無申告加算税部分を除いたもの。弁論の全趣旨によれば、右債務は未分割と認められるから、控訴人部分はその二分の一の三〇万円と解するのが相当である。)を加算した。三二六五万八九六一円(うち控訴人部分は、三二三五万八九六一円)となる。

三有価証券の贈与加算額について

1  〈書証番号略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、福子は、日本勧業角丸証券株式会社浜松支店を介して日本医薬品工業株式会社の株式を昭和五五年七月二日に一〇〇〇株、同月三日に四〇〇〇株買い付け、その買付け代金合計五七〇万一六六〇円を支払い、同月七日に同株式五〇〇〇株を取得し、これを同支店に福子名義で保護預かりとしていたこと、同年一一月二五日に右株式のうち二〇〇〇株(本件株式)が同証券会社の孝之名義の保護預かりに、三〇〇〇株が控訴人名義の保護預かりに変更され、同月二七日に株主名簿の名義がそれぞれ書き換えられていること、右名義変更のころに孝之から福子に本件株式譲渡の対価が支払われた形跡はないこと、なお、福子は同年七月七日ころ、日本医薬品工業の株式一万株を大和証券株式会社を介して買い付け、これを同証券に福子名義で保護預かりにしたこと、以上の事実が認められる。

以上認定事実によれば、本件株式は、いったん福子が取得した上、同女から孝之に贈与されたと認めるのが相当である。

控訴人は、福子が証券会社から日本医薬品工業の株式についての情報を得たので、福子自身のほか控訴人や孝之の利益を考え、三名の夏期賞与相当額を会社から前借りして各自のために株式を購入したもので、福子自身の購入した一万株の株式は大和証券の口座を利用し、孝之のものは日本勧業角丸証券の口座を利用して、両者を区別していたと主張する。

確かに、〈書証番号略〉並びに当審における証人廣瀬淑子の証言によれば、昭和五五年六月一一日に訴外会社より、孝之名義で三一三万六〇〇〇円、控訴人名義で二九六万八〇〇〇円、福子名義で三一八万円の借入がされていること、福子は、控訴人や孝之が信用できないため、両名に支払われる給与等のうち余剰分はこれを預金する等して本人達に代わって管理していたこと、前記の借入れも、福子が両名に代わって借入れをしたものであることが認められる。しかしながら、福子が、真実孝之のために、孝之の資金で株式を購入したというのであれば、通常、孝之の名義で買い付け、孝之の名義で保護預かりにするはずである。特に、本件では、福子は、自身の財産のほか、孝之、控訴人の資産等も管理していたのであるから、各自の財産が混同しないようその名義には特に注意を払っていたはずである。ところが、本件株式については福子名義で買い付け同女名義で保護預かりにしたというのであるから、株式を取得したのは福子自身であるということが強く推定されるといわなければならない。また、〈書証番号略〉によれば、本件株式の上場日は昭和五五年七月一日であると認められ、かつ、福子が本件株式を買い付けたのは同年七月二日及び三日であって、福子が孝之に代わって前記借入れをした六月一一日から一箇月近く隔たっていることからして、控訴人の主張する借入れが本件株式購入の資金手当てのためだったとは即断できない。さらに、浜松税務署長が孝之に対してした本件株式の贈与に係る贈与税の課税処分に対して、当の孝之自身は何ら異議を申し立てていないのである(当事者間に争いがない。)。このような点からすると、控訴人主張の点からは、本件株式は福子がいったん取得した上、これを孝之に贈与したものであるという前記認定を覆すことはできない。

2  そして、孝之が贈与を受けた時点での本件株式の評価額については、これを二一〇万四〇〇〇円とするのが相当であるが、その理由は原判決理由三の3記載のとおりであるから、これを引用する。

3  したがって、本件株式の評価額二一〇万四〇〇〇円を本件相続に係る相続税の課税価額に加算する被控訴人の主張は正当である。

四宅地の贈与加算額について

当裁判所も、本件土地を更地として評価し、その評価額を一三八九万三〇〇〇円と認定することには合理性があると判断するが、その理由は、控訴人の当審における主張に対応して、以下のとおり付加するほか、原判決理由四記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴人は、本件土地は建物使用を目的とする使用貸借による土地使用権によってその利用に制限が加えられているから、これを更地と同様に評価するのは合理性を欠くと主張する。

しかしながら、使用貸借は、元々当事者間の好意ないし個人的信頼関係を基盤とするもので、建物所有を目的とするものといえども、賃借権のように借地法や建物保護法の適用はなく、その権利性はそれほど強固なものではないものである。そして、この使用貸借に基づく敷地利用権の上に、建物の賃貸借関係が成立しているとしても、この建物賃貸借は、敷地所有者との関係でみると、使用貸借の存続・消滅と運命をともにするものにすぎない。そうすると、使用貸借権の付着している土地の贈与に当たっては、使用貸借権が付着していることによる減価を考慮せず、これを更地として評価することは相当であり、これを不合理ということはできない。

確かに、本件の受贈者である孝之は、本件土地の上に建物を建て、それを既に賃貸している関係で、本件土地の持分の贈与を受けても、借家法の保護を受ける建物賃借人との賃貸借契約に縛られた状態でしか土地を利用できないが、これは、たまたま受贈者側が建物を第三者に賃貸している事情にあるため、結果としてそうなるというだけであるから、本件土地の評価に影響を与えないというべきである(例えば、同じ状態の土地を建物所有者とは別の第三者に贈与した場合を考えると、「売買は使用貸借を破る。」から、これを更地として評価することに問題はないであろう。また、不法に土地を占拠し、建物を建て、それを賃貸した者に対して、土地所有者が土地を贈与した場合を考えると、受贈者は借家契約によって縛られた状態で土地を取得する結果となるのは本件と同じであるが、この場合に、建物に借家人がいるが故に土地の評価を低くするということは合理性を欠くことが明らかである。そして、同じ土地の評価を受贈者側の事情によって変えるのは妥当でない。)。また、まず土地に使用貸借関係を設定した上、そこに使用借主が建物を建てて第三者にそれを賃貸しても、使用借主に対して贈与税の課税はしないという実務(昭和四八年一一月六日付け直資二―一八九国税庁長官通達《使用貸借通達》参照。この実務自体、前記のような使用貸借の法的性質に照らして、合理性がある。)を前提として、控訴人主張のような解釈を採ると、同じ土地の贈与でも、親が子へ土地を更地の形で贈与し、それに子が建物を建て、第三者に賃貸した場合と、親が子に土地の使用貸借をした後、子がそこに建物を建て、それを賃貸した上で、土地の贈与がされるという場合とで、贈与税の額が異なってくることになる。しかし、このような結論は、贈与税が相続税の補完として機能するために設けられ、遺産を生前に贈与することによって相続税の逋脱を計ろうとすることを防止するためのものであることを考えると、明らかに不合理といわなければならない。

そうすると、控訴人主張のように、本件土地を更地として評価することが不合理とはいえない。

五結論

1  以上のとおりであるから、前記当事者間に争いのない金額に加えて、控訴人の納付すべき相続税額を算出すると、別表のとおりとなる。

そうすると、浜松税務署長が控訴人に対し、昭和五八年一〇月二六日付けでした昭和五八年一月八日相続開始に係る相続税更正処分のうち、課税価格二億七六九四万五〇〇〇円、納付税額一億〇三五五万三二〇〇円を超える部分はその根拠を欠くことになるが、右は当初の申告の納付すべき税額一億〇三六五万〇七〇〇円を下回るのみならず、控訴人は、本訴では納付税額一億〇三六五万三三〇〇円を超える部分の取消しを求めるにとどまるから、取り消す額は右申立ての限度にとどめることとする。

また、過少申告加算税については、右のとおり納付税額一億〇三五五万三二〇〇円を超える部分はその根拠を欠くとすると、更正に基づき納付すべき税額はないことになり、また、控訴人の申立てとの関係において、納付税額を一億〇三六五万三三〇〇円として、これを基準に考えるとしても、右一億〇三六五万三三〇〇円と当初の申告額一億〇三六五万〇七〇〇円との差額は二六〇〇円にすぎず、これに五パーセントの税率を乗じても一三〇円にしかならないから、国税通則法一一九条によりその全額は切り捨てられ、結局、過少申告加算税は全部取り消すべきことになる。

2  よって、控訴人の請求は、当審における請求拡張部分を含めて相当であり、本件控訴は理由があるので、原判決を取り消し、本件相続税の更正処分のうち納付税額一億〇三六五万三三〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官大坪丘 裁判官近藤壽邦)

別表

相続税額等の計算明細表〈省略〉

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